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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。
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2009年04月12日

押し寄せる波

ヒット商品応援団日記No357(毎週2回更新)  2009.4.12.

前回、革新はいつしかそのエネルギーを失い既成となり、新たな革新が「価格」を入り口にその座をとって代わるようになる、そんなテーマについて書いた。仕事柄多くの商業施設を見て歩いているが、イオンやセブン&アイ、あるいは百貨店といった大企業は勿論のこと、街の商店や専門店も価格の嵐の中に等しくいることを感じる。
ここ1年ほど、価格とその「わけあり消費」について多くの事例を書いてきたが、ブログを継続して読んでいただいた方には、過剰情報時代の特徴が事例に見事に表れていることに気づかれたことと思う。過剰情報時代にあって、表面づらだけの情報と「意味あるわけあり情報」とを明確に識別する生活者が増えてきたということである。つまり、商品という物の裏側にある意味や背景、そうした情報をしっかりと見極める生活者が現れてきた。

そして、東京は消費において次々と押し寄せる価格という大波にさらされている。これから少しづつ地方へと伝わっていくと思う。勿論、小さな波になってだが、逆に波が引き静まるのもまた遅くなる。情報が伝わる波は、イノベーター→サイバー→オピニオン→マス→レイターという具合に少し前までは理解され、以前からファッション分野などで使われ、食においても転用されてきた。メーカーもそうであるが、特に流通は、マス化(マスプロダクト化・大衆化)していく商品を見出すために、その情報発信者=市場牽引者であるオピニオン探しを懸命に行ってきた。しかし、オピニオン層とマス層の多くを占めてきた中流層は、格差というキーワードが表現しているように崩壊している。この中流層を主対象としてきた百貨店が苦戦しているのは至極当然で、今や価格に敏感なマス層とレイター層が圧倒的な市場規模を形成している。勿論、モノ価値以外のブランド価値といった無形の価値を見出すオピニオンマーケットも存在してはいるが、1990年代初頭以前と較べ、市場規模はどんどん小さくなっている。

政府も、経済誌も、多くのエコノミストは需給ギャップの大きさを指摘する。需要、つまり消費の落ち込みに対し、供給過剰になり、結果多くの失業者を産むということである。20兆円とももっと大きな需給ギャップとも言われているが、年度末には失業率が7%台に及ぶといった予測もなされている。派遣切りに象徴される不況の波は、東京・輸出大企業から地方・中小企業へと、これから押し寄せていく。マクロ経済の理屈はそうであると思うが、昨年末東京日比谷公園に現れた年越し派遣村が全国至る所に現れるということだ。

ところで、最近耳にしなくなったキーワードの1つに「癒し」がある。数年前まで、メディアから膨大な情報として流されてきたが、この1年ほどほとんど消えたキーワードである。自然という生命あるもの、例えば「小動物」に癒されるとか、私が好きで訪れる沖縄を「癒しの島」と呼んでみたり、つまり心を和ませる世界として数多く商品化されてきた。自然ばかりでなく、歴史や文化、更には家族や子との関係・絆など、大仰に言えば近代化によって失ってしまった「Always三丁目の夕日」のような世界を取り戻すこと=回帰現象のなかに「癒し」が置かれていた。勿論、そうした背景から夥しい量の情報と共にヒット商品も生まれてきた。
過去のヒット商品は、自然のリズムとは全く異なる凄まじいビジネススピード、自己責任論のもとでの過酷な競争、昼夜の境目ない24時間型社会、・・・・つまり都市化によって失ってしまったものへの、いわば回復としての商品化であった。この10年ほど多くの回帰現象というライフスタイルの中心に、この「癒し」が置かれていたということだ。しかし、この1年商品もそうであるが、癒しはマスメディアや広告の世界からも消えた。

最早、癒しなどでは回復できない危機的情況、破局に向かっていると指摘したのが作家辺見庸である。NHKのETV特集「しのびよる破局のなかで」、あるいは放送後再構成された本(「しのびよる破局」大月書店刊)を読まれた方もいると思う。私が解説するより直接読まれた方がよいのでここでは書かないが、今起こっている様々な危機、金融危機、地球温暖化、新型インフルエンザ、そして人間の内面崩壊、こうした一見異質なものに見える危機が同時進行しているいまだかってない時代にいると言う。そして、その予兆があの昨年起きた秋葉原殺傷事件であると。
私は人間が持っている欲望の一つである消費、その変化を分析し、その奥にある価値観を探ることを仕事としてきた。この価値観が壊れ始めている事はこのブログでも書いてきたが、作家辺見庸は価値観の崩壊とは「生体が悲鳴をあげていることだ」と言う。作家らしい表現、というより神経むき出しの辺見庸であるが、価値観の崩壊とはそういうことである。

病んだ経済、病んだ社会、病んだ地球、そして病んだこころ、こうした感染症がパンデミック(爆発)へと向かっているというのが作家辺見庸の認識であるが、同じような考えによる人達もいる。昨年夏、「暴走する資本主義」を書いたライシュもそうであるし、何よりも辺見庸と同じようにブッシュ政権を批判し続け、米国オバマ政権の顧問となったクルーグマン教授も同じ危機認識だ。どこに光明を見出すかについて、辺見庸は作家らしく「人間とは何か」と根源を内観する必要を説き、米国のこの二人は「成熟した市民」を置く。言葉こそ違え、私にとって共通するところは多い。先日、プラハでオバマ大統領が核廃絶の表明をしたが、これも1つの光明であると信じたい。
消費という側面から見ていくと、「意味あるわけあり情報」を持った生活者ということになる。「どんな意味」かは、財布の中身と相談しながら、今までの学習体験に依るところが大きいと思う。そうした意味で、「価格問題」を通した「わけあり競争」も少しの混乱はあると思うが、新しい価値観の創造、意味ある消費、成熟した消費へと向かっている。この価格という波の中から、必ず次の革新、次の価値観が生まれてくる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:46Comments(0)新市場創造